チベット問題とオリンピック


今日は金曜日。1週間の集大成の日です。

今週、やり残したことはないですかー?

今日、1日で何とか頑張りましょう!

さて、今日はいつもと趣向を変えて、チベット問題について、書きながら考えてみたいと思います。

(情報としてはテレビ報道とインターネットの報道を元にした、あくまで私なりの意見です。)

オリンピックの聖火リレーで各地で暴動が起きている。

「平和の祭典」オリンピック。その中での「暴動」。矛盾している。

「平和を勝ち取るために、戦争を起こす」論理と似ていて、矛盾している。

そもそも人間は、矛盾を持っているものである。

自分自身の中でも自己矛盾があるときがある。

頭ではこうしようと思っていても、行動が裏腹の時がある。

スポーツと政治は別」と福田総理が言った。

別であれば理想かもしれないが、オリンピックは別でないことは歴史が証明している。

私が覚えている範囲では、モスクワオリンピックのボイコット、先日のハンドボールの中東の笛、いずれも政治的な関与があるとしか言えない。

理想」と「現実」を考えさせられる問題である。

ダライラマ14世を悪者にする中国。

オリンピックの中国での開催を指示している。そして、今回の暴動もするべきではない。

と言っている人間に向かって悪者扱いする論理がわからない。

わかろうとするなら、独立問題も含めて、思想的に中国化(中華思想)しないことに文句をつけている。

チベット仏教の最高指導者であるダライラマ14世を、思想的に中国化させることなど、武力を用いてもできるはずがない。武力で領地を占領しても、思想だけは屈しない。それぐらいの誇りを持っているはずである。

中国という国は、大きすぎて統一を果たすのに苦労していることがわかる。

歴史を見ても、数々の勢力により、革命が起こり、武力を持って争われ、さまざまな民族によって、この地は争われてきた。統一を果たすには、外に敵を作らねばならない。統一するのが難しい国なのであろう。

かといって、チベットや日本をはじめ、敵扱いされたところはたまらない。

そうすると、自国を守るために武装しないといけないという論理が生まれる。

将来はわからないが、今のチベットは決して武装しない(カンジーのように、非暴力である)。

武装しないと、武力で奪われる可能性がある。

他を責めず他の利益のために自らを修行をするチベット自国の統一のために他国を責める中国

「平和の祭典」オリンピックを前に、人間の持つ煩悩と尊厳と、社会の価値観、国の価値観の違い、世界の価値観、前世・現世・来世など、いろいろ考えさせられることに意味があるのかも知れない

理想」と「現実」のはざまで、人は生きている。

その中で、自分に何が出来るか?どう使命を果たしていくか?

などを考えるが、一人では何も出来ない。ことに気づく。

でも、一人からでもやらないと渦は起こらない。

そんなことを、ふと思った。

考え付くままに書いたので、支離滅裂なところがあったら、ご容赦下さい。

それでも、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました

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